野村證券での学び
「辛かったけど、あの経験が今に活きている」。
新卒で入社した野村證券での時間は、まさにそんな日々でした。
営業の現場では、プライドがズタボロになったこともありました。
けれど、だからこそ今の自分があります。
柳井工業で経営陣に早くから食い込めたのも、
野村で鍛えられた経験と、先輩の教えのおかげです。
「辛かったけど、あの経験が今に活きている」。
新卒で入社した野村證券での時間は、まさにそんな日々でした。
営業の現場では、プライドがズタボロになったこともありました。
けれど、だからこそ今の自分があります。
柳井工業で経営陣に早くから食い込めたのも、
野村で鍛えられた経験と、先輩の教えのおかげです。
野村證券での学び01
野村證券での配属先は、町田支店。新卒で任されたのは、担当顧客を持たない“新規顧客開拓”でした。
ターゲットは、経営者や地主、その奥様たちなど高所得層。飛び込み営業で、一日2件のアポを地道に積み重ねていきました。
あるとき、名刺だけを100枚積み上げ続けた先で、「100回来た君だから話を聞こう」と言われた経験が忘れられません。
自分を売り込むのではなく、相手の悩みを想像し、簡潔に伝えること。限られた時間の中で「聞く」ことを何より大切にしていたことが、懐に入るための術だったのです。
野村證券での学び02
野村證券では「数字」や「成果」にシビアでした。
新人時代から見積書や収支記録を作成し、自分の仕事が会社にどれだけ貢献しているかを数値で確認。
この経験は柳井工業でも活きることになります。
職人が多いプラント業界で私は単なる作業者ではなく、「経営者の視点」で成果を上げることを意識しました。
その姿勢が評価されて大きな仕事を任されるように。数字を見据える力が、信頼を生む武器となりました。
野村證券での学び03
失敗やお叱り、目標未達成が続いたとき、何度もくじけそうになりました。
そんなときに先輩から「悩んでいる暇があるのなら解決策を考えよう」と教わり、今もその言葉を大切にしています。
経営者となってからは、その考えを部下にも伝え続けています。
失敗を恐れず共に解決策を探すことで、成長できると信じているからです。